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2013年12月22日 旅 No.2

麁原山 (そはらやま)

福岡県福岡市早良区昭代一丁目


いつものように自動車学校から帰るとき、そのときはまだ昼でした。

そこで俺は思いつきました。「ちょっと寄ってみるか」と。

目的地は 稀少地名漢字リスト に載っている、あそこ。


麁原山は、モンゴル軍が攻め入り本陣を敷いた、元寇(げんこう)の戦場跡です。

1274年、モンゴル軍に攻められた対馬、壱岐、長崎県本土沿岸は壊滅状態であったそうですが、

この麁原山においての日本軍の奮戦によりモンゴル軍は敗走しました。

それから7年後(1281年)にも再度モンゴル軍が攻めてきましたが、

このときも日本軍の猛攻によって、ついにモンゴル軍が壱岐へ逃げ、

元寇は日本軍の勝利に終わったということです。


帰り道に自転車の向きをクルリと変えて走ること40分。

その夢のあとへ。




画像はクリックで拡大可能。

祖原山のふもとには公園があります。小さな子供たちがボールを投げて遊んでいました。

祖原山自体はそんなに大きくなく、登頂も楽です。


写真はいきなり祖原山頂上です。

画像の下の方に写っている影は僕のものです。


「麁山」の字を近くで。

クゥーカッコイイ!


近くにある説明板。元寇についてのことが書いてあります。勉強勉強。

どうでもいいですけど「勉強」と「元寇」って似てますよね。




文章や画像を見て気づいた方もいるかもしれませんが、この山の現在の名前は「祖原山」です。

個人的には「あぁせっかくの難しい漢字が~」なわけですが・・・

考えてみると、「麁原山」の「麁」は「あら・い」という訓読みに、「ソ」という音読みがあり、いずれも「粗」に通じます。

ということは現在の山名は「粗」「祖」と見間違えて登録しちゃったんでしょうか・・・

それとも、ここで戦った英霊をたたえる意味で、偏を、「神仏」の意味の「しめすへん」に変えたのでしょうか・・・

いろいろ憶測するのも楽しいです。(


石碑の裏。こう刻まれています。


この地麁原山(そはらやま)は𥘉(=初)度の元寇文永十一年 一二七四 十月二十日に
早良川から百道(ももじ)にかけて上陸した敵の有力な一部隊の本陣となつた。
敵は軍旗をなびかし太鼓やどらを鳴らして気勢をあげ 目前に展開する鳥飼 赤坂 福岡城裏 别(=別)府(べふ) 荒江で
鉄炮を放つなどして わが郷土 肥前 肥後の將兵とはげしく戦つた。
そのことは肥後の竹崎季長の蒙古襲来絵詞や八幡大菩薩愚童訓(ぐどうきん)に見えている。
なお 博多湾に浮ぶ能古 志賀島や西戸崎の海陸は 弘安四年 一二八一 再度の役に東路軍が
わが軍の猛攻をうけて ついに壱岐へ退出するにいたつた古戦場である。

題字揮毫 福岡市長 進藤 一馬
              石田 清 寄贈

※できるだけそのままに、忠実に打ち込んでいます

福岡を守ってくれたいにしえの方々に感謝して、僕は帰路につきました。




で、「麁」は「」の略字なので、この字も見られるかなと

期待していたのですが、それらしいものは見当たりませんでした。うぬぬ


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